この季節。
小さいころに祖母の家に行くと軍服を着たおじいちゃんの写真がお盆ということで特に自分の目に焼き付いていた。
会ったことのないおじいちゃん。
戦争で終戦間際に南方の島で戦死してしまったおじいちゃん。
もう自分は戦死したおじいちゃんの年齢を超えている。
写真を見ると、まだ若いこれからの青年のような祖父の写真。
2015年にトレモロアースの作品として『悠久の花』と言う曲を作曲しました。
久々に再開した葦木ヒロカのマネージャーの篠原正司さんに聴いてもらい、歌詞は篠原さんに託すことに。
出来上がってきた悠久の花の歌詞は、当時の自分にはかなり重すぎる内容で、自分の作った花の歌としての『悠久の花』からは遠くかけ離れた深い命をテーマにした曲になりました。
もう一度仕切り直しの為、花の歌を作りたかった自分は、静岡の海へ向かいます。
一緒に行ったのは今の妻。
当時お腹の中にはまだ3ヶ月の赤ちゃんがいて、自分にとって命の歌は、新しい命、新しい家族。そしてその命を遠い過去から繋げてきた僕の家族、僕の先祖から伝わるストーリーにしようと思い、
静岡の浜辺でギターを弾きながら1から作ったのがこの曲、
トレモロアース『LEN ~つらなる愛~feat.葦木ヒロカ』でした。
自分が一番伝えたい言葉はそのまま残し、自分の言葉にならない思いを言葉に書き留めてくれたのが『名前詩人そら』さん。
あまりご紹介することも出来ぬままのCDリリースになってしまいましたが、この曲は自分とそらさんの合作といっても過言でありません。
そらさんとは長野市のファミレスで3~4時間ほど二人で言葉に格闘し、歌詞をのノートに書き留めた冬の終わりの思い出があります。
僕の祖父と同じ様に遠い戦地で散って行った若者は日本にたくさんいました。
> 僕の住む佐久から山梨市方面へすすむと野辺山高原があります。
その地には戦中に特攻隊員を訓練するグライダーの基地がありました。
今でもJR野辺山駅の横にひっそりと慰霊碑があるのはご存知でしたか?
彼らはその基地で、秋水、桜花などという特攻機で出撃する為の訓練をグライダーで日々行っていたそうです。
戦中、特攻機に出撃した隊員、特に終戦間際には文学、芸術、教員をめざし学んでいた学生も招集され、
南に飛び立っていきました。
彼らは日本がこの戦いに負けるということはすでに知っていたのであろうはずが、日本に不利な状況で負けるということを絶対に避けるために、今生きている日本人の未来を考え、そして愛する家族が銃を手に戦わないよう、片道の燃料を積み、南の海に散って行ったのです。
そんな彼らがいたから今僕たち日本人はここに生きている。
もし、自分の祖父が生きていたら、孫の自分にも、曾孫になる自分の娘にも会えていたんだろうな、、と思い、繋がっていく家族の愛をこの歌に仕上げました。
この曲を聴いた方はお気づきかもしれません。
曲の冒頭で、無線のような音、プロペラの周る音をコラージュした音が聴こえると思います。
飛行場から、仲間、家族、子供、恋人に見守られて出撃する風景を音のコラージュで感じてもらいたく入れました。
印象的なメインのサビ
”~咲き誇れ 命の花よ 日が出ずる国の岬から~”
このメロディーも皆さんのご存知の聞いたことのある歌ったことのある旋律をモチーフにしています。
それは私たちの国の国家 ”君が代” を思い浮かべる音階の旋律にアレンジしました。
そして後半部分に聞こえる小さな子供たちのコーラス。
このコーラスはもう二度と争いのない平和な国の象徴も子供たちの未来に希望を持てる小さなメロディーとして。
この曲を今、生で聴け、歌ってくれているのは feat.ボーカルとして曲に 参加してくれた葦木ヒロカさんのステージが多いと思います。
自分の曲なのにステージで葦木ヒロカさんと一緒に演奏する機会がないのは歯がゆい気持ちですが、、。
でも、作曲者としての自分の希望はこの歌を今の小学生や、中学生の子たちにも歌って欲しい。
そしてカバーしてみたいシンガー、バンドなどのアーティストにもどんどん歌って未来へ歌を残していって欲しい!
僕ら日本人の決して忘れてはいけない大切な想いの歌です。
もし、この曲を聴いて歌ってみたい、歌わせてみたいみたい学校の先生方や、お父さん、お母さん方、アーティストの方がいらしたら是非自分にお知らせください。
tremoloearth@gmail.com 高見澤一樹まで。
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